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017.菰石川橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和6年7月
撮影 平成18年9月
図 ココ
備考

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これも016.風間橋同様、山形市内から山寺方面へ向かうr19の旧道にある。
風間橋より8ヵ月前の竣工で、旧r19はこちらから風間橋方向へ改修されていったようだ。
この橋は風間橋に比べ状態が非常によく、銘板も4枚共全て残っている。

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橋の形自体は非常に平凡であるが、銘板に記された橋名のかな文字には趣がある。ちなみに「こもい志かは者し」と書いてあり、「志」=「し」、「者」=「は」である。
銘板が全て残っていることも貴重だ。そのおかげで現代の僕はこうしてこの橋の由来を知るとができる。
付近では工事が行なわれていたが、この橋には工事の影響を受けることなくずっと残っていて欲しい。

ちなみに昭和6年7月に日本では全国からの懸賞応募1658編の中から選ばれた「ラジオ体操の歌」が初放送され、エチオピアでは皇帝ハイレ・セラシエ1世がエチオピア史上初の憲法を制定し、名ばかりの「立憲君主制」を宣言した。
更にちなむと、このハイレ・セラシエ1世とは、紀元前1000年のソロモン王とシバの女王を始祖とすると伝えられる、3000年もの長きに渡るアフリカ最古の絶対王政の225代目(!)だったのだが、昭和49年9月にクーデターにより退位、翌年寂しく死去した。

「ラジオ体操の歌」って、あの、「あーたーらしいぃあーさがきたっ!」ってやつかな?

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016.風間橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和7年3月
撮影 平成18年9月
地図 
ココ
備考

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山形市内から山寺方面へ向かうr19の旧道にある橋。
交差点で停車中にたまたま見つけたが、半分舗装に埋められており、ほとんど橋には見えなくなっている。
しかし、南側に回りこんでみると、ちゃんと銘板があり、橋名・竣工年次共に知ることができる。それによれば昭和7年となかなか古い。

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北側の現道に面した部分は、写真のように親柱はすっかり埋もれており、苦しそうだ。
側面から見て初めて橋ということが判る。
このような橋は、この先もほとんど橋であると認識されず、いつしかの工事でその姿をひっそりと消していくのだろう。
辛うじてその難を逃れたとしても、わざわざ銘板を覗き込むような者はこの先もほとんど皆無かもしれない。

ちなみに昭和7年3月、日本は満州国の建国を宣言、溥儀が執政に就任。
アメリカでは、史上初の大西洋単独無着陸飛行に成功した英雄、チャールズ・リンドバーグの息子が誘拐された。

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015.覗橋

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所在 山形県上山市
竣工 明治15年
撮影 平成16年10月
地図 
ココ
備考

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013.新橋のすぐ下流にある。
上山市内の明治期に作られた4つの石橋のうちのひとつ。
新橋も覗橋も重量制限は4.0tで、外見もほとんど同じだが、覗橋の方が辺りの雰囲気もより自然に感じられ、より風景に溶け込んでいるように思える。

この橋ができた当時、人々は疑って渡ろうとしなかったというが、その後およそ120年が経過した現在でもなお車や人々を渡しているというのは立派だ。
下手なコンクリート橋よりも安定感があり、将来もまだまだ現役でその姿を保って行くことだろう。

ちなみに明治15年、岐阜県で自由党総理板垣退助が暴漢に襲われた。
「板垣死すとも自由は死せず!」と言ったとか言わなかったとか。
うーん、まるっきり教科書の世界のようだ。自分の生きる現代から隔絶した過去って感じがする…。19世紀だもんなー。

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014.宮川水管橋

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所在 山形県上山市
竣工 昭和34年7月
撮影 平成18年9月
地図 
ココ
備考

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上山には中心を前川と須川の2本の川が流れており、結構いろんな橋が架かっている。
そして、市街に吊橋なんかもある。
宮川水管橋、本来水道専用の橋らしいが、人も渡ることができる。
ところで、上の竣工年次が刻まれた親柱の写真(写真右)の下端が切れているのは、写真を撮ろうとしゃがみこんでカメラを構えていたところ、前方から女子高生が歩いてくるのが見え、誤解されてはマズイ!と思って焦ったためだ。
本来こんな中途半端な写真は掲載しない。
尚、その前に撮った写真の時には、おばちゃんが歩いてくるのが見えたが、少しも動揺することはなかったことも付記しておく。
…このように、この橋は水管橋といえども、日頃から市民に親しまれているのだ。

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竣工年次自体は昭和34年とそう古くはないけど、全体的にどことなく古めかしい感じのする橋だ。
橋の両詰には次のような銘板があった。

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いいねえ!「車馬交通止」。
いくら田舎とはいえ、昭和34年に市街を馬なんか歩いていたのか疑問だが、こんな表記もこの橋の古めかしさに拍車をかけている。ちなみに馬の交通止めに関する標識は制定されていないようだ。
この目を引く吊橋、子どもの頃の僕の中ではなかなかミステリアスな存在だった。
吊橋ということと、暗い青色の塗装がそのように印象付けたのだろうか。

ちなみに昭和34年7月に児島明子がアジア人初のミス・ユニバースに選ばれ、ソ連では犬2頭、ウサギ1羽を乗せたロケットを打ち上げ、動物の回収に成功した。

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013.新橋

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所在 山形県上山市
竣工 明治13年8月
撮影 平成18年9月
地図 
ココ
備考

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上山市内には、明治期に作られた4つの石橋がある。
その内のひとつ、新橋。
やはり明治期に作られた石橋には独特の美しさがあるように思う。
んが、正直僕の好みからは微妙にずれるのだ。
なんか、このくらい古いものになると、もうすっかり、ジャン!歴史的遺構!!みたいになっちゃって、なんかこう、生々しさのようなものがなくなってしまい、博物館の展示物を見ているような気になってしまう。
なので僕の好みとしては昭和初期から20年代位までの、コンクリート橋。

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この新橋のある楢下は江戸期の宿場として、関連するいろんな建物が整備され見学できるようになっている。集落一体的に歴史的な景観を尊重しているのだ。
素晴らしいことだが、これも僕にとっての「生々しさ」を失わせる一因なのかもしれない。

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まあなんだかんだいっても、綺麗な趣のある風景であることには間違いないのであります。

ちなみに明治13年8月に、駅の乗降客相手の「新橋車夫会社」が設立され(新橋繋がりで。勿論こっちは東京の新橋)、この年「へなちょこ」という言葉が流行した。

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012.本郷橋

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所在 山形県鶴岡市
竣工 不詳
撮影 平成17年8月
地図 
ココ
備考

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本郷橋、親柱が一つしか残っておらず(東詰にも無かったと思う)、名前しか判らないのが残念。
しかし、欄干の雰囲気などから、昭和初期、戦前頃の竣工だと思う。
結構長く、立派な橋だけに惜しい。
しかし、全体に安定していない感じがして、当時増水していたこともあり、渡るのが少々怖かった。
親柱がかけたところは金属網で補修してあるけど、いかにも間にあわせという感じでいただけない。
本郷橋への愛情が感じられないぞ…。

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橋の銘板の書体はいかにも昭和初期の感じの力強い筆で、風格が感じられて恰好よかった。

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011.黒井橋

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所在 山形県東置賜郡高畠町
竣工 昭和2年7月
撮影 平成17年8月
地図 
ココ
備考

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黒井橋。
短く、欄干も特に特徴のない地味な橋だ。
そんな地味さにも拘らず、竣工は昭和2年と比較的古い。
本来はもっと大きな銘板が嵌められていたのだろうか?
この道も国道13号線の旧道なのだろう。
ジーっと見つめていると、この橋が架けられた当時の風景がセピア色に目に浮かんで…、
はなかなかこないが、そういった風景に思いを馳せるのも、旧道・旧橋めぐりの醍醐味のひとつだ。

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「くろゐばし」の「ゐ」もいい雰囲気だ。
向日葵とのツーショットもいいじゃないの。

ちなみに昭和2年7月、日本では芥川龍之介が自殺し、オーストリアのウィーンでは警官隊とデモ隊が市街戦を行い、左右両派の対立が深刻化。
世界は「ぼんやりとした不安」の渦中へと進んでいた。

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010.雨留井戸橋

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所在 山形県南陽市
竣工 昭和10年
撮影 平成18年9月
地図 
ココ
備考

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「雨留井戸橋」とあるけど、読みは?
「あめと□□はし」?「あめとり はし」に見えるけど、よくわからない。
002.尾嶋橋より北方にある。
その他にも小滝街道(現r8)にはまだ旧橋がありそうで面白そう。あと2つくらいは見つけたいね。

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ぢんまりとした地味な橋だけど、のどかな秋の山里の風景と相まって、かなりいい雰囲気の橋だった。
秋そばにいるよ。

ちなみに昭和10年に日本では第1回芥川賞・直木賞が決定し、フランスでは自動車王シトロエンが死去。 ほー。

追記 (H.18.9.25)
山形の廃道様サイト内「現役の橋梁」にて、読みは「あめといとはし」であると紹介されていた。確かによく見ればそうだよなあ…。それを「あめとり」と思ってしまった…。
恥ずかしい…。
「いと」の所も濁らないのかー。不思議な名前だ。
山形の廃道様、勉強になりました。
山形の廃道様は山形県内を中心として、廃道や隧道、そして橋について丁寧な紹介をされています。山形県内のそれらについてはまず参考にされるべきサイトです。

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009.旧赤芝橋

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所在 山形県西置賜郡小国町
竣工 不詳(昭和13年頃?)
撮影 平成17年5月
地図 
ココ
備考 昭和42年8月の羽越水害により落橋。
    竣工年次は、R113八ッ口の西沢橋のそれから推測。

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赤芝峡に古い橋脚が残っているのは比較的目立つし、知られているけど、あれはどうも歩道サイズで車道じゃなさそうだ(写真左)。となると、車道の橋跡は残ってないのかな?と思って、トラックが通るたびに震える現赤芝橋を徒歩でおそるおそる渡りながら川面を眺めていると、あったじゃないか。旧赤芝橋跡が(写真右)
僕は何も川面を見つめて飛び降りようとしていたわけではないのだよ。これを探していたのですよ御通行中の皆様。
こりゃ夏場は見えないはずだ。夏場はさぞかしモシャモシャしてるだろうな。

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現赤芝橋の山形側のたもとから、ちょいと旧橋脚に接近。春先でもこんなんだ。
これ以上近づくのは怖いし危険だし僕には無理なので、新潟側の対岸の広場からこちら側を窺ってみようぞ。

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ほうほう現橋の下からよく見える。橋脚を固定していた穴らしきものもちゃんと4つ見えるじゃないか。
でもこちら側(僕が立っている側)の取り付け部はよくわからないな。現橋がそのまま踏襲したのかな?

さて、この橋の竣工年次の推定なんだけど、僕がいつも楽しく見させてもらっているサイト、山さ行がねが様の道路レポート国道113号線八ッ口後編のなかに、旧赤芝橋の欄干の雰囲気によく似た「西沢橋」が掲載されており、その竣工年次が昭和13年10月との事なので、旧赤芝橋もそんなんかなーと思って昭和13年?としておこう。

山さ行がねが様は、旧道・廃道・隧道好きの人々の圧倒的な支持を得ているサイトで、この手の趣味を持つ人には触れずにはいられないサイトです。もちろん僕もたくさん勉強させてもらいました。

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ちなみに、これが西沢橋の全景だ(平成17年1月)。カッコイイ橋だ!

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そういや最初の歩道らしき橋脚跡は、新潟側対岸の広場から続くこの遊歩道(跡?)に繋がっていたかなんかだろうなあ。全く情報ナシ!だけど。
いやー、なかなか見ごたえのある旧赤芝橋跡だった。
それにしてもこんなに高いところに架かっている橋をも押し流した洪水って、ちょっと想像できないぞ…。

ちなみに昭和13年10月に日本では森永製菓がブリキ缶使用禁止を受けて、容器を紙箱に変更し、アメリカではラジオドラマの『火星人の襲来』で全米大パニック(30日)!!今でこそ笑い話かもしれないけど、信じた人たちは怖かっただろうなー。
また、水害のあった昭和42年8月、日本ではユニバーシアード東京大会が開催され、東南アジアでは東南アジア諸国連合(ASEAN)が設立。

旧赤芝橋はおよそ30年でその生涯を終えたけれど、今もなお荒川の川面にその痛々しい姿をひっそりと晒し続けている。

追記(H.18.12.28)
後日、旧旧赤芝橋についての重要な情報を得ました。

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008.南沢橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和3年
撮影 平成18年7月
地図 たぶんココ
備考

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これは…。さっと通り過ぎようとしたんだけど、一応と思って見てみたら、「昭和3年」!
…でもなー。この銘板、オリジナルじゃなさそうだし、なんか「昭和3年」があまりに堂々と主張していて、なーんかインチキくさい。欄干も007.大川橋同様、昭和中期のモノっぽいし。
まあ、ご老体だからこそいろいろ補修されて今の姿になったということか…?
そういうことにしておいて、南沢橋はさっさと終わらせてしまおう。

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007.大川橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和3年8月(架換)
撮影 平成18年7月
地図 
ココ
備考

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…?…昭和3年?しかも架け替えとある。うーん、とすると、それ以前に既にあったのを昭和3年に架け替えかー。006.菅沢橋方向から道普請が進んできているものと考えていた僕には予定外だったなー。ありゃりゃ。

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でも欄干の雰囲気は昭和30~40年代のものっぽい感じだし、…よくわからん!でもいいや。

ちなみに昭和3年8月に日本では、なんと、東京市道路試験所が麻布区兵衛町に簡易舗装を行なっている!全国の舗装道の先駆けだそうだ。やったぜ東京市道路試験所!
…なお、山形県肘折温泉付近のR458は未だに未舗装なのであります。
フランスではパリで、不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)が調印。 あーこれ就職の試験でやったかも。

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006.菅澤橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和7年1月
撮影 平成18年7月
地図 
ココらへん
備考

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004.湯田橋005.本沢橋に遅れること2年、昭和7年の竣工。約2キロ進むのに2年か。ちょっと間が空いたね。道普請も一休みだな。
現在、この辺りは「すげさわ」と呼ばれているけど、橋名の読みは「すげざわ」と濁る。
今見ると、特に目立たない橋だ。もう下に川流れていないし…。
こんな面白くもなんとも無いような橋でも、昭和7年のもの。大切にしないと。
…でもこれは写真撮ってても面白くなかった…実際。

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「山邊上山線」。お、これはなんか立派だぞ。こんなちゃっちい橋なのに、こんな銘板があるなんて。頑張ってるぞ。

ちなみに昭和7年1月に日本では桜田門事件が起こり(8日)、インドではガンジーが獄中でハンガーストライキを開始(4日)。 んー。

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005.本沢橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和5年10月
撮影 平成18年7月
地図 
ココ
備考

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004.湯田橋と同じ月の竣工。いいね、工事が早いね。どんどん道普請進めたね。
それはいいんだけど、この橋、今となっては欄干が低くてちと怖い。舗装前はもう少し高さがあったんだろうけど、舗装され、その後も何度か舗装が重ねられて相対的に低くなっていったのかな?ただ、一般に古い橋は欄干の高さが低く、新しい橋に慣れているとちょっと怖い。

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ちなみにこの月は、第3回国勢調査があった月(1日)。総人口9039万6043人。 ほう、こんな前からやってたのだね。

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004.湯田橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和5年10月
撮影 平成18年7月
地図 
ココ
備考 平成19年3月再撮影→画像を差換え。

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これまた昭和5年竣工の橋。10月だから…、002.尾嶋橋より後だな。あれ?尾嶋橋から小滝街道(現r5-R348)の道普請は001.織機橋方向へ南下していったものと思っていたけど、こっちにも来たな。
こっちは小滝街道といっても、尾嶋橋よりは大分離れているし、こっちはこっちで作ったのかな?…まあいいや。軽率な推理は止しておこう。
なかなか立派な橋で、見ごたえがあったな。
欄干の感じが、028.東宮橋に似ている気がする。

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ちなみに昭和5年10月に、日本では作家野坂昭如が生まれ(10日)、イギリスでは民間飛行船R101が墜落し、48人が死亡(5日)。 この頃は飛行船だったんだね。

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003.隔間場橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和38年10月
撮影 平成18年7月
地図 
ココ
備考 平成19年1月再撮影→画像を差換え。

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小滝街道(現K5-R348)の延長上にある橋。ほんとはこのくらいの年代の橋はあまり興味がないのだけど、名前につられて撮ってみた。
子どもの頃、「カクマンバさ行ぐべ」などと、「カクマンバ」という地名は耳にしていたんだけど、漢字でこう書くとは、初めて知った。

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ところで、「隔間場」とは漢字で書くくせに、「竣工」の「しゅん」の字が書けてないぞ。
これはきっと忌字だったとか何か深い事情があるに違いない。きっとそうだ。

ちなみに昭和38年10月に、日本では慶応・順天堂の両病院でアイバンクが開業し(10日)、フランスではシャンソン歌手エディット・ピアフが死去した(11日)。 ふーん。

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002.尾嶋橋

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所在 山形県南陽市
竣工 昭和5年9月
撮影 平成18年6月
地図 
ココ
備考

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これは001.織機橋の2ヵ月前の竣工。ということは小滝街道(現K5)の道普請はこっち側から南下してったのかな。ふむふむ。
これも銘板は4枚とも現存しているものの、「尾嶋橋」には欠損ありで惜しい。

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ちなみに昭和5年9月に、日本では伊勢丹が設立され、ドイツでは総選挙でナチスが第2党に躍進(14日)。 戦前ムード濃いね。

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001.織機橋

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所在 山形県南陽市
竣工 昭和5年11月
撮影 平成18年6月

地図 ココ
備考

なんとなくロマンチックな名前の橋。鶴とかこっそり渡ってそうだ。
近くに「南陽市夕鶴の里」なんてあるし。
片側は青々とした蔦に覆われてきれいだ。

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銘板も四枚とも全て残っていて、大切にされている感じがする。

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ちなみに昭和5年11月に、日本では浜口雄幸が狙撃され(14日)、アメリカでは陸軍の参謀総長にダグラス・マッカーサーが就任(20日)。 ちょっと物騒な年だな。

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