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024.橋名不詳(いわき市)

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所在 福島県いわき市
竣工 不詳
撮影 平成18年10月
地図 ココ
備考 銘板は全て欠落。

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023.高田橋に続いていわき市の旧橋第2弾。
R49を走っていると、なんとも可愛らしい橋を発見。
華奢な欄干と、親柱に乗っかった半球が実にキュート。

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反面、銘板の跡はとても大きく、大分大きなサイズの銘板が嵌め込まれていたと思われる。できれば実際に銘板を見てみたかったものだ。
この道はR49の旧道ではなさそうで、林道に続いている。R49からのアプローチも直角で入りにくく、あまり利用されている気配は無い。
よく見ると親柱の直方体の部分は平凡な直方体ではなく、角が面取りされている。さりげないがこんな所も凝っているじゃないか!
見れば見るほどキュートな橋だ。

結構いわき市内には旧橋が多く存在していると見た!
…かなりデカイ市だけど。

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023.髙田橋

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所在 福島県いわき市
竣工 昭和5年8月
撮影 平成18年10月
地図 ココ
備考

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珍しく福島県の旧橋の登場。
欄干には後年に転落防止のために手が加えられているようだ。
オリジナルの欄干をデザインを損なわない感じで好感が持てる。
銘板ではなく、直接橋名などが親柱に掘り込んであるが、そのおかげで全て今でも読み取ることができる。
昭和5年かー、久しぶりに古めの橋だ。この道はR49の旧道だろう。幹線国道の旧橋、イーネ!

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秋雨に濡れる旧橋。
秋の旧道めぐりには雨が似合う。
旧道に興味を持ち始めた頃、同じように雨の中秋のR49を走ったことがあるが、それ以来R49には秋の雨が似合うと思うようになった。
旧道の古びた舗装に濡れた落ち葉が積もっているのはなんとも趣がある。

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まるで昔話にでも出てきそうな光景。
これ以上雰囲気のあるロケーションに位置する旧橋は他にあるだろうか。
…あるかも知れない 。
とにかくいい雰囲気の旧橋だった。

ちなみに、昭和5年8月に日本では谷崎潤一郎夫妻が離婚。「妻を友人に与える声明」を当事者3名で連署。イギリスではショーン・コネリーが誕生した。
連署…ってすごいな。作家は凡人とやることが違うのか…。

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022.千本橋

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所在 山形県上山市
竣工 不詳
撮影 平成18年10月
地図 
ココ
備考

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上山の新湯温泉街の路地裏にひっそりとある橋。
今はなき旅館城戸口屋の角を曲がるとある(マピオンの地図では「坂戸口屋」になってるが…)。
欄干には普通の白いものが取り付けられ、銘板も小さく目立たないので、古そうな橋とも、場合によってはそこに橋があること自体忘れられがちな感じのする気の毒な橋である。

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全体的にはとてもキレイなんだけど、この感じはやはり昭和初期~前期の竣工のように思えるのだがどうだろうか。親柱はオリジナルではないのかな?
こんなささやかな橋に「千本橋」という名前は一体どういうわけなのだろう。
特に大切にされてはいないが、粗末にされている感じでもない、そんな橋。
気付けばそこにいる…みたいな。
大切なものの価値は失って初めて分かる…みたいな。

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この橋が架かる荒町川は、ここ10年くらいで大分きれいになった。

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021.花臺橋

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所在 山形県南陽市
竣工 昭和30年3月
撮影 平成18年9月
地図 ココ
備考

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南陽市内の旧R13の吉野川にかかる橋。
この全体的なボロさにもかかわらず、竣工は昭和30年と予想に反して新しい。
欄干のコンクリートがはがれ、鉄筋がむき出しになっていて痛々しく見える。

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この写真を撮っていた時には、近くの中学校の女子生徒がひっきりなしにランニングをしており、014.宮川水管橋の時と同様、落ち着いて撮影していられなかった。
それが、今回の写真の構図が安定していない原因です。はい、言い訳ですけど。
でも昨今、しょっちゅう「子ども見守り隊」なんてステッカーを貼った軽トラなどがちょこまか走っているため、なんか誤解を受けそうでどうしても気になる。
やましい所は何もないのだから堂々としていればいいのだが、そんな風に誤解されるのはご免でーす。
「地域の安全」は確かに重要なことだが、世知辛い世の中になったものだ。

話がすっかり横道にそれたが、つまりは年代に不相応にくたびれた橋ですということですな。
まあ、昭和30年竣工といっても、ここで取り上げている橋たちに比べて新しいということで、もう50年以上も前だし、それだけかつては幹線国道として頑張ったんだよね。
あと、「花台橋」ってちょっとお洒落な名前だと思う。由来は知らないが。

ちなみに、昭和30年3月に日本では理研光学工業が国産事務用複写機第1号である「リコピー101」を開発。
イギリスではチャーチル首相が下院で、イギリスの水爆製造開始を発表した。
リコピー…、単純すぎるが可愛い名前だ。

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019.東落合橋/020.西落合橋

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所在 宮城県柴田郡川崎町
竣工 昭和26年5月
撮影 平成18年7月
地図 ココ
備考 平面交差している橋。

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山形から仙台へ向かう笹谷街道の旧道にある橋。
竣工は昭和26年と比較的新しいものだが、面白いのはその構造だ。
なんと2つの橋がY字型に交差しているのだ。
まさに落合い橋!(まあ、ほんとは川が落ち合っているのというのが正しいのだろうけど)

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橋脚まで詳しく見てこなかったので、構造的にどのように交差しているのかはよく分からないが、こういう橋だとなんとなく嬉しくなって、とりあえず3方向へ歩いて行ってみてしまう。
中心部でぐるっと廻ってみてみたり。
スクランブル交差点が珍しい地域に住む僕としては、こういうのは楽しい。
こんなことができるのもこの橋が旧道化し、すっかり目立たなくなってしまっているお蔭だ。

ところでこの橋の場合、どこからどこまでが東落合橋で、どこからどこまでが西落合橋なんだろう?
そういや確か南側には親柱がなく、橋名も竣工年次も分からなかったと思うが、ひょっとするとそっちが南落合橋になるのか??…だったら面白いんだけどな。
いや、案外そうかも。東西南の三叉橋!…カッコイイ!
仮にそうだとすると、東・西・南の3つの落合橋は、どれもその名では完結していないことになる。
なかなか不思議な橋だ。今度また通ったらもうちょい詳しく見てこよう。

トップの写真は、写真左が東側から西方向を望んだもので(東落合橋)、写真右が西側から東方向を望んだもの(西落合橋)だ。

ちなみに昭和26年5月に、日本はGHQに占領下諸法令の自主的再検討を許可され、WHOにも加盟した。また、国連総会が中国と北朝鮮への戦略的物資輸出禁止措置をとり、これが国連初の経済制裁決議となった。
なんかタイムリーな感じの話題だ…。

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018.細野橋

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所在 新潟県魚沼市
竣工 不詳
撮影 平成18年10月
地図 ココ
備考 橋名はすぐそばの「新細野橋」から推測。

奥只見ダムに向かってR252を走っていると突然目に入ってきて、急停車。
いやー、ものすごく味がある!イイ!
道も封鎖されているが、柵は簡単に越えられるので、対岸まで渡ってみようかとも思ったけど、…怖い。
ネットの世界には、真っ暗な隧道に平気で踏み込んでいかれる怖いもの知らずの方々も多いが、僕には無理だー!
こんな橋でも、落ちるんじゃないか?などと思ってしまう。
そういうわけで、安全に撮影。
銘板は西岸にはなし。よって橋名・竣工年次共に不明。
でもこの雰囲気はやはり昭和初期のような気がする。
この時対岸には渡られなかったので、奥只見ダムの帰り道、対岸に寄ってみた。

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東岸はより厳重に封鎖されていた。
それもそのはず、一部が崩れて渡れなくなっていた。怖い。銘板もない。
すぐ近くに架けられている現道の橋を見てみると、それは「新細野橋」。
ということで、十中八九この橋の名は「細野橋」で良いだろう。
新細野橋の竣工は意外と古く、昭和46年12月であり、ということは細野橋は当時まで使われていたことになる。廃止されて35年!
現橋に取って代わられてからも現役として人を渡す橋が多い中で、封鎖されており、しかもその後35年も経っているというこの橋は、その外見とも相まって、なんとなく不気味な印象を与えた。
冒頭にイイ!と言っておきながら、最後には不気味だなどと書いてしまったが、そういう全ての雰囲気を含めて、非常に非常に印象的な橋だった。

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