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034.瀬川橋

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所在 岩手県花巻市
竣工 不詳
撮影 平成19年2月
地図 ココ

備考 現在は連続する033.朝日橋と共に「朝日橋」とされている。

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朝日橋と共に北上川に架かっている橋であるように見えるが、現在は河川改修を経てもっと北で北上川に合流している瀬川が、かつてはこの辺りで合流しており、そのため当時はれっきとした「瀬川」に架かる「瀬川橋」であったらしい。
しかしぱっと見はどう見ても一続きの橋に見え、西側には銘板も残っておらず、これが瀬川橋であったということは地元の人でもなかなか気付かないのではないだろうか。

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僕も写真の銘板を見るまでは、どういうことなのかよく分からなかった。
この橋名が記された一枚の銘板が残っていることで、辛うじてこの橋が朝日橋の一部なのではなく、瀬川橋という独立した橋であったことが知られる。
朝日橋のところでも書いたが、トラス構造を持つ朝日橋に比べれば非常に地味であり、瀬川橋にとっては損だ。竣工年次も不明で、状態も朝日橋に比べて良くない。

ところで、上に掲載した写真にはちらちらと気になる影が写っていることにお気づきだろうか。
西側左手の親柱(14tの重量制限の標識が立っているやつ)の写真をしゃがみこんで撮っていると、どうもファインダー(正確にはカメラ背面の液晶モニター)にちらちらと黒く四角いものが入り込む。
モニターから一旦目を離して、それを確認…。

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033.朝日橋

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所在 岩手県花巻市
竣工 昭和7年12月
撮影 平成19年2月
地図 ココ

備考 現在は連続する034.瀬川橋と共に「朝日橋」とされている。

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東北の大河、北上川に架かる美しい橋。
1本下流にある朝日大橋を走っていた所、目に留まり急行。
この橋、遠目ではトラス橋とコンクリート橋の2本の橋が繋がっているように見え、なかなか面白い構造をしているようだ。
まずは東岸から。
親柱にはオリジナルかどうか定かではないが球状の電灯らしきものがついており、その他の部分も非常に凝っており、大きく立派な親柱である。
この朝日橋、地元では有名な橋らしく、宮沢賢治の作品にも連続する瀬川橋と共に登場するらしい。

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西側の親柱のすぐ先(上の写真では手前)から、コンクリート橋の瀬川橋に続いている。
詳しいことは知らないが、これは河川改修の結果北上川と旧瀬川が合流することになり、その結果両橋も一体化されたのだという。
トラス橋の朝日橋のみが目立ち、注目され、地味なコンクリート橋である瀬川橋は目立たない。
しかも現在では朝日橋と瀬川橋のふたつを合わせて「朝日橋」と称しているらしく、瀬川橋は朝日橋に吸収合併された恰好となっており、少々気の毒だ。
しかし瀬川橋もなかなか味のある橋であり、また、そこでは重要な発見もあったのだ。

ちなみに、昭和7年12月に、東京地下鉄道の三越前-京橋間が開通。
一方、日本橋では白木屋百貨店で火災。高層建築であったため消防車の放水が届かず、被害が拡大した。
そういえば、先日都市伝説を調べていた時にたまたま見たのだが、このとき裾が乱れることを気にして逃げ遅れた女性がいたことから女性の下着着用が普及した、という話が有名だが、これは俗説に過ぎなく、そのような事実はないという見方が有力なのだそうだ。

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032.太用寺橋

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所在 福島県喜多方市
竣工 昭和10年7月
撮影 平成19年2月
地図 
ココ
備考

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会津でひと通り白看を撮影し、後は帰るだけとR121を広々とした田んぼを見渡しながらのんびり走っていたら、いかにも旧橋っぽい欄干を持つ橋が目に入った。すかさず交差点を曲がってそちらへ。
大分薄暗くなり、辺りにはやたらと「斎場」の古びた看板が立っていて、淋しい雰囲気だったが、そこには典型的な旧橋が。

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特に凝った意匠はなく、実にシンプルだが、銘板は全て現存しており傷みもあまり見られない。
危険防止のための青い鉄柵が欄干の間に加えられており、銘板の文字もそれに合わせたのか青く塗られている(ように見える)。まるで子供の悪戯のように見えなくもないが、目立つ損傷もなく現在もこうして使われていることが何よりだ。いや、これは青銅かなにか、銘板の地の色なのかな?そういや旧宇津トンネルの銘板も文字だけがやけに青かったし…。
辺りは広々としてのどかで、橋の前後の道は舗装こそされてはいるが、まるで橋の竣工当時から風景が変わっていないような感じで、周辺も含めて実に当時の雰囲気をよく残した橋である。
だいぶ薄暗くなっていたが、カメラの手ブレ補正も効いているのか、なんとかブレずに写真に収めることができた。
急に思い立ち、一人でふらっと出かけた今回の会津ドライブは、こうして最後に嬉しい発見で締めくくられた。

それにしても、こうしてふらっと山形から会津に出ることができ、暗くなってからでも安心して帰ることができるのだから、大峠越えのR121新道の存在は大きい。
旧大峠トンネルに向かって頼りなさげに伸びる旧道(一応現役)を見てそう思った。

ちなみに、昭和10年7月に日本の呉海軍工廠では最新鋭巡洋艦「最上」が竣工し、フランスでは自動車王アンドレ・シトロエンが死去した。

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031.西千手橋

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所在 新潟県長岡市
竣工 昭和28年10月
撮影 平成19年2月
地図 
ココ
備考 

新潟県長岡市はかつて長岡藩の城下町として栄え、司馬遼太郎の『峠』の主人公である河井継之助や、「米百俵」で一躍有名になった小林虎三郎などの藩士を輩出し、その後も海軍大将山本五十六から、ジャーナリストの櫻井よしこ、ミュージシャンのスネオヘアーに至るまで、各方面の著名人を生み出している。
ついでに紹介すると、普段『ドラえもん』くらいしか漫画を読まなかった僕が、ついうっかり全巻揃えてしまった『るろうに剣心』の作者の出身地もこの辺りであり、周辺の地名が登場人物の名前に用いられている。
そのように県下有数の古い歴史を持つ都市である故に、戊辰戦争と所謂太平洋戦争では市街が焦土と化す大きな被害を受け、また平成16年の新潟県中越地震での被害も記憶に新しいが、長岡市は災害を受けるたびにたくましく復興している。
僕も新潟市に住んでいた頃には、全国的に名の知れた長岡花火のときや、その他折々にここを訪れ、戦災資料館や山本五十六記念館などにも足を運んだ。

…がっ!旧橋や白看的視点をもって長岡市を訪れたことはこれまであまりなかったように思える。それに8年間も新潟に住み、何かと新潟県に所縁が深くなった割にはブリグ中の新潟ネタも思うように増えない。
そこで今回、またしても所用のついでに、前々から気になっていた長岡市街のこの橋を見に行った。

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…そうは言っても、わざわざ見に行くには小さく地味な橋なのである。
交差点のすぐ側にあるので、常に信号待ちのクルマが停まり、なかなか落ち着いて撮影できない。街中でカメラを携えることにはもうすっかり慣れたが、やはり停車中の車の傍でしゃがみこんだりすることには抵抗がある…。

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天気が良すぎて、極端な逆光下にあったので黒く潰れた写真になってしまい非常に見づらいが、よく見ると竣工年次が昭和28年と比較的新しい。
少々期待はずれだったが、これも戦災と無縁ではないだろう。
橋が新しいこともまた深い歴史があるが故なのかもしれない。
古い歴史を持つ長岡市でいろいろ旧いモノを見つけちゃおう!という僕の安直な企ては出鼻を挫かれた恰好だが、このあと思いがけないウレシイ出会いが待っていた。

ちなみに昭和28年10月に、日本では東京都内に赤デンワが初めて登場し、海上保安庁の巡視船が竹島に日本領の標柱を立てた。

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