« 2007年7月 | トップページ | 2007年11月 »

040.人和橋

L1050651_800 L1050660_800

所在 新潟県中魚沼郡津南町
竣工 昭和14年10月
撮影 平成19年10月
地図 
ココ
備考 発電所と一体。

L1050654_800 L1050653_800

039.壽橋に続いて、新潟県内の旧橋。
新潟県内の旧橋の銘板は、このような石版に文字が彫られたものが多いのだ。

さてこの橋、東京電力信濃川発電所を跨ぐように架けられていて、発電所の水車を回す水が流れるでっかい管を5本その下に通している。
一体この橋、竣工当時の姿はどんなのだったのだろう、と思い少々調べると、この信濃川発電所が運用を開始したのはこの人和橋の竣工と同じ昭和14年。
どうやらこの人和橋ははじめから信濃川発電所と一体となって作られた橋のようなのである。

L1050656_800 L1050655_800

発電所やダムにはマニアの方々も多いと聞くので、この橋の情報も多く見つかるかと思ったがそうでもない。
古写真も、発電所自体のものは何枚か見つかったが、肝心の橋のものは見つからなかった。残念。
欄干は旧橋の例に漏れず、だいぶ低かったと見え、ガードレールによって1段分高くしてある。
また、親柱はトコロテンを突き出す道具のような形をしていて、あまり見かけないタイプである。なんか、全体的にカクカクとしていて、発電所のイメージとも相まって、コンクリート橋ながらもメカニカルな感じのする橋。

L1050657_800

橋から見下ろす信濃川発電所。
うーん、確かに何かそそるものがあるような気がしないでもない。
でかく、古めかしい建物に、複雑に入り組んだ電線、そして目を引く鉄塔。

L1050658_800

それになんといってもこのスケールのでかさ!
この管の中を水がぶわーっと勢いよく流れて水車を回すんだろうか?
すごい。
そして、怖い。
なんせ、1秒間あたり最大180トン弱の水を使っているのだそうだ。
なんか、スケールのでかすぎるものを目の前にすると、ゾクゾクっと怖くなる。
確かに、発電所やダムにはえも言われぬ魅力があるのかも知れない。

そして、もう少しこの信濃川発電所について調べてみた(参考にしたのはお手軽ウィキペディア)。
この管を勢いよく流れてくる水はじゃあどこから来るのかというと…、
この西大滝ダムから、ずうーっとこの水路を通って、まだ通ってまだまだ通って、そうしてやっとここの管の上にたどり着くのだ。
いやー、凄い。
恥ずかしながら水力発電というものをはじめて具体的に知った。
スケールでかいな!!
よく作ったものだ!!!

これは確かにはまるかも。気をつけないと。
でもそんな長い長い地下水路の内部…なんて想像すると、やっぱり怖い。

いやー発電所、怖くて、鳥肌が立つようで、でも素敵。

ちなみに昭和14年10月、近衛内閣が総辞職し、平沼内閣が成立。
米パッカードが世界初のエアコン付自動車を発表した。

| | コメント (0)

039.壽橋

L1040858_800_3 L1040867_800_2

所在 新潟県柏崎市米山町
竣工 昭和13年12月
撮影 平成19年8月
地図 
ココ
備考

L1040859_800 L1040863_800

新潟にはだいぶ長いこと住んでいてすっかり新潟県民なのだけれど、新潟県内の旧橋はあまり見つけておらず、旧橋ブリグでの掲載数もかなり少ない。
新潟県民としてこれでは不満である。
ということで、新潟県内の旧橋。
傾向として、新潟県内の旧橋の銘板は石版に文字が彫られていること多く、白い石に筆で書かれたような「表札」っぽいものはかなり少ないように思われる。
もっとも、サンプル数が少ないのでなんとも言えないが、そう思える。
実家のある山形県ではそういった「表札型」の銘板を持つ旧橋が知る限り圧倒的に多く、それが〝旧橋らしさ〟のようにも感じられる。
そういうわけで、この壽橋のような銘板を持つ旧橋を新潟県内で見つけられるとうれしい。

L1040864_800 L1040865_800

柏崎市米山町…、どこか耳にした人もいると思うが、ここは今年の夏の中越沖地震の震源の近くである。
写真を撮ったのは地震から一ヶ月あまり経った後だったが、まだ避難所に避難している人も多いような時期だった。
このときは帰省する途中で早朝だったが、橋のたもとのゴミ集積所に近所の人がたくさん集まってきて、なんとも写真が撮りにくかった。その様子だけを見ていると、とてもあんな地震が起こったとは思えないような平穏な夏の朝だった。

L1040860_800

もちろん、この壽橋も地震などにはビクともせず、人々を渡している。

ちなみに昭和13年12月、日本軍は南京を陥落させ、イタリアは国際連盟を脱退した。
いつものことだが、なんともきな臭い。
こんな海のすぐ近く、橋の工事は寒く辛かっただろうな。

| | コメント (0)

038.明鏡橋

L1030162_800_2 L1030150_800 

所在 山形県西村山郡朝日町
竣工 昭和12年10月
撮影 平成19年3月
地図 ココ

備考

L1030163_800 L1030164_800

名前も姿も端正な橋。037.最上橋とともに最上川に架かる。
この橋のある山形県朝日町は父の故郷で、この橋も父が子供のころの記憶に残っているらしい。
この橋の全体像は、隣の新明鏡橋から出ないと見れないが、その新明鏡橋は凄く高く、風も強いので、欄干からこの橋を撮る時にはかなり怖く、すっかり及び腰になってしまった。

L1030158_800 L1030157_800

最上橋と似た感じであるが、こちらのほうが補修の後も少なく、雰囲気をよく残していると思う。それにしてもダイナミックな橋で、よく戦前にこんな橋を作ったものだなあと思うが、人類の歴史から見れば、古代ローマの例を出すまでもなく、ずうっと昔に人はいろいろとデカイものを作っていたわけで、人って凄いですな。
全体を横から撮った写真をよーく見ると、この橋の下の川面には、木製の杭のようなものが確認できる。
おそらくこれは旧旧明鏡橋のものであろう。
昭和12年以前の木橋、果たしてどんな姿をしていたのだろう。
自治体史などには、あるいは写真も残っているかもしれない。

L1030169_800

最後に新明鏡橋とのツーショット。
旧橋になったとて、この橋は廃れることなく、新橋と仲良く並んで余生を送っていきそうである。

ちなみに昭和12年10月、ペリカン便でおなじみの日本通運が設立され、詩人中原中也が30才の若さで死去した。

| | コメント (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年11月 »