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043.旧上輪橋

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所在 新潟県柏崎市
竣工 不詳(推定昭和14年頃)
撮影 平成19年12月
地図 
ココ
備考 橋名は推定。

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やっと見つけた執念の旧橋。
…というのもいささかオーバーなのだが、ちょっとした訳があるのだ。

今年の春頃、出張で北陸道上を高速バスで新潟に向けて乗っていた。
バスとか電車に乗るときは、ゆっくり外を眺めていられるので、なんとなく旧道探しなんてやっている。特に高速道路上のバスなんかからだと、視点がだいぶ変わるので、面白いものが見つかることもある。
すると、米山付近で、アーチ状の古そうな橋が目に入った。
見たのは一瞬だったが、それは一見して古臭く、強く印象に残った。
米山辺りの海岸にはでっかいアーチ橋がいくつかあるが、明らかにそれらの旧橋と判るものだった。
急いでメモし、後日訪れる機会を待っていた。
しかし米山辺りは、新潟方面に向かう途中にあり、そこを目的にすることはなかなかない。殆どは新潟へ行く用事のついでなので、ゆっくり時間も取れない。
地図で橋の位置の検討はつけた。
しかしなかなか旧道への入り口が判らない。
もちろんちゃんと詳しい地図を持っていけば一発なのだろうが、いつもついでなので準備が甘いのだ。

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前回は上越側からチャレンジした。
車では行けなさそうだったので、寂しく寒い曇天の下、心細い思いをしながら車を降りて歩いた。旧道を歩くというのはなんとも心細く、小走りになる。
すると、がけ崩れ。
言うまでもなく今年の夏の中越沖地震のせいだ。
このときも「ついで」だったので、反対側から再チャレンジすることなくあっさり撤退。
一瞬あの橋は地震のせいで孤立してしまったのかと思ったが、考えてみれば、上輪の集落はあるのだから、そんなはずはない。
そして今回友達の結婚式へ向かう途中、反対の新潟側から旧道に入った。

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例によって地元の人の好奇の視線を浴びつつ車を走らせると、橋はあっけなく見つかったが、車中からは一見平凡な橋に見える。
当時の印象は自分の中でだいぶ誇張されていたか…と思い、車を降りると、
かなりの迫力!!いいぞ、これは!

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両岸は相当深い谷で、欄干は旧橋らしく低く、改修も受けていないのでので、恐い。
うまく橋全体を見渡せる場所も少なく、岸を結構ぎりぎりまで行かないとならず、恐い。
銘板が一枚も残っていなかったのが残念だが、上輪大橋の竣工が昭和40年なので、それまで使われていた旧上輪橋(名称はともかく)と考えて間違いないだろう。
そして、上輪大橋と同時期に竣工した米山大橋の旧橋に相当する谷根橋(後日アップ)の竣工が昭和14年であるから、恐らくこの橋も同時期の竣工だろう。

それにしても趣のある橋だ。
けれども、こういう趣のある橋ほど、反面不気味さもあるように思えるのはなぜだろう。
こんな迫力のある橋が、物言わずひっそりと隠れていた、というのがなんか恐いのだろうか?
曇天と寒さと枯れた風景の中、地震にもビクともせずに、橋はいた。
上輪大橋や米山大橋は地震の影響を受けたというのに!

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上輪大橋。
壮大なアーチ橋だが、これでも昭和40年の竣工。

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僕はあの高速上からこの橋を見たんだ。

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042.出川橋

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所在 長野県飯山市
竣工 昭和25年12月
撮影 平成19年12月
地図 ココ

備考 「大正国道」10号線

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先週末、トコトコ旧道めぐりしていたときに見つけた旧橋。
一見、「ゴテゴテした橋だなあ…」と思いクルマを停めたが、銘板が横書きである時点で比較的新しい橋であることがわかる。
品が良い感じではないが、やはり気になるので一応車を降りて撮影。
うーむ、このセンスは…?
親柱にデンと乗った球体が謎。
さらに親柱の不思議な装飾。
どことなく寺院的というか…、なんというか、アンコールワットとかボロブドゥールとかにありそうな感じのする橋である。

しかし、路線名の銘板を見て驚いた。

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「國道十号線」!?
…すぐにピンときた。
これは前に某長有名廃道サイトでチラッと見たことのある、「大正国道」というやつだ。
国道にも法制上の歴史があり、明治18年、大正9年、昭和27年の各年に制定された法律上の国道が、それぞれ「明治国道」「大正国道」「昭和国道」と俗称されている。
ちょうど案内標識など道路標識にも、「白看」や「青看」があるように、国道にも歴史あり、というわけだ。
なので、当然現在の「国道10号線」とは全く由来もルートも全く異なっている。
大正国道十号線は、大雑把に、東京~高崎~長野~小千谷~新潟~鶴岡~秋田を結んでいたという。

これは発見だ。
大正国道の物的痕跡は非常に少ないという。
こんな旧道ともただの県道ともつかないような道で、すごい物を発見してしまったぞ!!

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竣工年次が「1950」と数字なのに違和感を覚えるが、それでも古い。
昭和27年といえば、国道の大規模な法改正を2年後に控えた「大正国道」末期だ。
やはり古い橋には、一見して感じる趣がある。
さっきまでゴテゴテしているとか言っていたが、非常にレアな橋であることがわかり、手のひらを返したように評価を変えるのだ。

鼻息も荒く、早速アップしようと思ってちょこっとネットで調べると、既にお一人だけこの橋を紹介されている方がいた。
見なかったことにしてジャジャーン!とアップすることも出来たけど、一度先達の存在を知った以上、自分の発見のように言うことはやはりできない…。
ざんねん…。

ちなみに昭和25年12月、大蔵大臣池田隼人が問題発言。その真意はともかく貧乏人は麦を食え」発言として糾弾された。
でもこの人が、後に、良くも悪くも日本の戦後復興に大きな役悪を果たすことになる。

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