047.藤沢橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和4年10月架換
撮影 平成18年7月
地図 
ココかなぁ?
備考

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上山~山辺線の一連の旧橋群の最後は、最も北側にある藤沢橋。
藤沢川に架かっているので藤沢橋。単純明快だ。
これまでの橋の銘板は僕の好きな「表札式」だったが、これだけは金属板である。
そのせいか、他の旧橋に比べ新しく見え、ちょっと味気ない。
後年銘板のみ取り替えられた可能性もあるかもしれないが、藤沢橋自体は「昭和4年架換」とあり、やはり十分年季の入った橋なのである。

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味気なさで言えば、008.南沢橋に似ている感じだ。
藤沢橋、南沢橋、名前も似ている。
それがどうしたと言う感じもするが、とにかくこれで一連の上山~山辺線における旧橋群は一応完結だ。
この旧道は、興味のある方は是非一度通ってみて下さいな。
小粒ながらも、味のある旧橋たちが出迎えてくれます。

ちなみに昭和4年、ドイツからはるばる、世界最大の飛行船「グラーフ・フォン・ツェッペリン号」が東京上空へやってきた。
ドイツからの所要時間、99時間40分。約110km/時。

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046.日向橋

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所在 山形県山形市
竣工 不詳(推定昭和4年9月)
撮影 平成18年7月
地図 ココらへん??かなり記憶が曖昧。
備考 平成19年3月再撮影→画像を一部差換え。

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一連の旧道に沿った旧橋を撮り続け、そろそろ終わりかな?と思った頃に現れた大ボスのような旧橋。
と言っても、特に大きな橋と言うわけではないのだけれど、旧橋の魅力がぎゅっと凝縮されたような、重厚な橋なのだ。

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銘板に傷みがあり、竣工年次がわからないのがとても残念だけど、この橋より南の045.萱場橋044.ひらあい橋がそれぞれ昭和6年、同5年であることと、銘板の欠損部分をよく見てみると「四」らしき文字が見えることから、恐らく昭和4年9月の竣工ではないかと。

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この辺りの旧道は結構入り組んでいて、一連の旧橋群は互いに離れてはいないのだけど、後で地図を見てみても、どこをどう走ったのかイマイチわかりにくい。
それゆえ、この辺りの一連の旧橋の地図は、だいぶ不確かなものとなっている。
大体この辺りかな?と参考程度に。

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春の夕暮れ、いい雰囲気の中での再撮影。
なかなか思い出深い橋だ。

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045.萱場橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和6年10月
撮影 平成18年7月
地図 ココらへん?

備考

044.ひらあい橋のすぐ近くにある、これまたカワイイ小さな橋。
竣工はひらあい橋のちょうど一年後。

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この橋が架かる上の沢川は蓋で覆われ、この橋は橋と言うよりもはや暗渠のようになっているけど、これまた立派な銘板が「橋」をしっかりと主張している。

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奥に写る萱葺きの家と、「萱場橋」。
なんて見事なマッチング!
この景観は是非ずっと残って欲しいものだが、萱葺きの家って維持が大変だから、こんな風景が見られるのもそう長くはないのかも知れない。

ちなみに昭和6年10月、発明王エジソンが84歳で死去し、ギャングの親玉アル・カポネに、懲役11年・罰金5万ドルの判決が下された。

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044.ひらあい橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和5年10月
撮影 平成18年7月
地図 ココらへん?
備考

現在は国道458号線の快適な道路で結ばれている、山形県上山市~山辺町間だが、以前は集落の間を縫うように細々とした道が伸びていた。
そのR458の旧道ともいえる道の存在を知ったのは、一昨年の夏だった。
当時は時間があったので、地元の細々した道に入り込み、あっちへウロウロこっちへウロウロしていたのだが、この旧道に入り込んだ途端、趣深い旧橋が芋づる式に登場し、それを辿っているうちに、いつの間にか長谷堂~菅沢~柏倉~門伝~村木沢の旧道をトレースしていた。
それにより一気に旧橋画像が増え、それをまとめようとした事が僕がブログを始めるきっかけとなり、今に至っている。
この上山~山辺線の旧橋群は、ブログ開設後間もない頃に、004.湯田橋辺りから008.南沢橋くらいまでアップしていたが、その後他の地区の旧橋をアップし、続きには手をつけないままでいた。
このままだと記憶も薄れていくし、そうそう現地を訪れることも出来なくなったので、今回残り4本を一気にアップします。
ところで、当初この旧橋群を見つけたときはかなり喜んだが、実は相互リンクさせて頂いている、山形の廃道さんでは既にずーっと前から紹介済みで、もはや二番煎じなのです。

だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、ひらあい橋です

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小川に架かる至ってシンプルなデザインの橋だけど、銘板がしっかりしていて、見ごたえがある。
南側の銘板には「ひらあひはし」と旧仮名づかひで書かれている。
「ひらあひ」と「し」はわかるが、「は」はどこじゃい?!って感じだが、たぶん「は」は「者」という漢字を崩したもので、昔はこれで「は」と読んだ。
この「は」を使った銘板は、他に017.菰石川橋の例がある。

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北側の銘板は一転し、「ひらあいはし」と現代仮名づかい。
「南沢川」の文字もしっかりとした楷書で書かれている。
もしかしたら、南北で銘板の年代が違うのかもしれない。
そういえば銘板自体の大きさも違うようだし。

ちなみに昭和5年10月、戦前の国鉄が誇る超特急「つばめ」が東海道本線に登場し、東京-神戸間を9時間で結んだ。

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038.明鏡橋

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所在 山形県西村山郡朝日町
竣工 昭和12年10月
撮影 平成19年3月
地図 ココ

備考

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名前も姿も端正な橋。037.最上橋とともに最上川に架かる。
この橋のある山形県朝日町は父の故郷で、この橋も父が子供のころの記憶に残っているらしい。
この橋の全体像は、隣の新明鏡橋から出ないと見れないが、その新明鏡橋は凄く高く、風も強いので、欄干からこの橋を撮る時にはかなり怖く、すっかり及び腰になってしまった。

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最上橋と似た感じであるが、こちらのほうが補修の後も少なく、雰囲気をよく残していると思う。それにしてもダイナミックな橋で、よく戦前にこんな橋を作ったものだなあと思うが、人類の歴史から見れば、古代ローマの例を出すまでもなく、ずうっと昔に人はいろいろとデカイものを作っていたわけで、人って凄いですな。
全体を横から撮った写真をよーく見ると、この橋の下の川面には、木製の杭のようなものが確認できる。
おそらくこれは旧旧明鏡橋のものであろう。
昭和12年以前の木橋、果たしてどんな姿をしていたのだろう。
自治体史などには、あるいは写真も残っているかもしれない。

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最後に新明鏡橋とのツーショット。
旧橋になったとて、この橋は廃れることなく、新橋と仲良く並んで余生を送っていきそうである。

ちなみに昭和12年10月、ペリカン便でおなじみの日本通運が設立され、詩人中原中也が30才の若さで死去した。

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037.最上橋

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所在 山形県西村山郡大江町
竣工 昭和15年
撮影 平成19年3月
地図 
ココ
備考

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山形県内では結構有名な非常に美しい橋。
だいぶ大切に保存されていると見え、きれいに補修がなされている。
それだけある意味での「旧橋らしさ」には乏しい気もするが、人知れず貴重な橋が朽ち果てていくのよりはいいことなのかも知れない。

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親柱も補修されたせいかなんとなくのっぺりしていて、質感には乏しい。
でもこの橋の場合、親柱などのディティールよりも、橋全体としてのダイナミックな姿のほうに魅力があると思う。
今ではさらに立派な新最上橋がすぐ隣に架かっているので、旧最上橋は時折地元のクルマを通しながら、のんびりと過ごしている感じ。

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こんなものに指定されているらしい。
どんなことなのか良く知らないが、大事にされている。

ちなみに昭和15年、日独伊三国同盟が締結され、パリはドイツ軍の侵攻の前に陥落した。
多くの旧橋の竣工年代のせいで、ここに書くことはどうもWWⅡの話題が中心になってしまう。

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036.辧當澤橋

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所在 山形県西置賜郡小国町
竣工 昭和16年7月
撮影 平成19年5月
地図 
ココ
備考 

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久々の旧橋ブリグの更新は、僕にとって思い入れの深いR113から。
R113の旧橋はこれまで、027.旧旧赤芝橋029.旧上杉橋030.旧下杉橋をアップしているが、まだこのラインには旧橋はある(とはいえ、もう既に先達によって紹介済み)。
この辧當澤橋は、現在の紅葉橋の旧橋に当たり、現道からも時期によっては見ることができる。特に今回はまだ春だったこともあり、藪はまだ茂っておらず、じっくりと観察することができた。

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恐らく未舗装の旧道&旧橋。すごく雰囲気がよい。
未舗装の旧国道、というものにグッとくる。
現道の紅葉橋の竣工年次を見てくるのを忘れたが、この辺りの道は昭和42年の羽越水害を契機に、昭和40年代後半にかけて改修されていったので恐らく昭和50年頃までは現役だったか、旧道落ちして間もない頃だったろう。

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橋の先(山形方向)の旧道も素晴らしいコンディションで、これなら徒歩での通過は十分可能である(写真左)。
また、このことも先達によって広く知られていることだが、この辧當澤橋にもさらに旧橋が存在し、現在はその橋脚のみが残っている(写真右)。
橋の名前は変わってしまったが現紅葉橋を現橋とするならば、それ以前には2代の橋が架かっていたことになるが、このことはちょうど年代的にも027.旧旧赤芝橋009.旧赤芝橋の関係に近い。
このことからも明治以来、急峻な地形を走るR113のルートが改修されてきたことがよく判る。

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さて、実はここには一昨年の9月にも来ていたのだが、その時はこんな様子で、とても観察どころではなかった。

ちなみに昭和16年7月、日本では関門トンネル下り線が開通し、御前会議では「対英米戦も辞さず」という帝国国策要綱が策定されたが、この内容は同月中に既にアメリカの暗号解読室によって解読されていた。

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035.寳作橋

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所在 山形県上山市
竣工 昭和34年12月
撮影 平成18年9月
地図 ココ

備考

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上山市からの転出を間近に控え、今回が上山の実家からの最後の旧橋ブリグ更新となることを記念して、上山市内の旧橋を。

昨年の秋、黄金色の田んぼを見ながら自転車を走らせていた時に見つけた小橋。
「寳作橋」…農家の人々の願いがそのまんま素直に表わされているような名前で、実に爽やかだ。歴史的な気品も洒落た感じも全くないが、それでいて軽やかでとても愛らしいネーミングに思える。
何の変哲もない地味な小橋だが、その名は周囲の黄金色に実った田園風景をそのままに表わしており、とても心に残った。

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また、丁寧に設計者と請負者が併記されているのも珍しい。
銘板が破損していて読み取ることができないが、恐らく「志賀○○さん」の設計なのだろう。その方は市内の人なのだろうか。
寳作橋を見つけられたこのときのサイクリングは、とても爽やかなものだった。

…と、僕にとってはとてもいい印象のある橋だったので、「爽やか」という表現を2回使ったが、「爽やか」が山口瞳のもっとも嫌いな言葉のひとつであったと何かで読んだことを思い出し、ちょっと複雑な気分…。

ちなみに、昭和34年12月に日本では北大路魯山人が没し、中国最高人民法廷では戦犯として服役中の元満州国皇帝愛新覚羅溥儀の特赦放免を決定した。有名人のあまり知られないその後、という感じだ。

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030.旧下杉橋

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所在 山形県西置賜郡小国町
竣工 昭和7年
撮影 平成17年5月
地図 
ココ
備考 北東側の親柱1基のみ現存。

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029.旧上杉橋と同じときに訪れたもの。旧上杉橋と対を成す旧下杉橋。
すぐ傍に現下杉橋が架かっており、そこからはただの古い農道?のようにしか見えないが、この貧弱でボロボロの橋が旧国道113号線なのである。そう見ると、いかにも旧道!な線形をしている。
この撮影当時はまだ「あー古い橋だ!撮っておこう」くらいの意識だったので、撮影が甘く、橋の全体像が分かりにくいが、親柱は1基しか残っておらず、銘板も埋もれかけているのがわかる。
やはり豪雪に耐えているためか、傷みが酷く、毎年橋の上に数十センチの雪が重そうに積もっているのを見るにつけ、今にも落橋しそうで心配になる。

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北西側の川面を覗くと、親柱らしきものが転がっている。意外と川面までは急斜面で高さがあり、下りてまで確認できなかったが、次回には何とか見てみたい。

橋の周りをうろうろしていると、側の畑で作業していたおばちゃんに話しかけられた。
旧道の頃は冬は全くの交通途絶、陸の孤島であったこと、畑に道路の砂利が飛んできて難儀したことなどを話してくれた。
舗装道が当たり前になっている僕にとって、未舗装時代の旧国道の話を聞くことは実に生々しく感じられ、興味深い。未舗装の国道というものを普段はなかなか実感しづらいのだ(一部の間で有名なR458は通ったことあるが)。

まだまだR113南陽-小国間には旧橋が残っている。
雪と藪に阻まれてなかなかその姿を拝む機会がないのだが、時期を見て旧上杉・下杉橋も含め、それらをきちんと撮影しておきたい。

ちなみに昭和7年といえば、問答無用で5・15事件の年。他に血盟団事件があったりと、なんとも物騒な年だった。

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029.旧上杉橋

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所在 山形県西置賜郡小国町
竣工 大正13年12月
撮影 平成19年5月再撮影→画像を差換え。
地図 
ココ
備考 北東側の親柱は現存せず。

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009.旧赤芝橋027.旧旧赤芝橋に続いて僕にとってはお馴染みの国道113号線の旧橋。
すぐ上を現道の現上杉橋が通っており、旧上杉橋は常に日陰となり非常に影が薄くなっている。この地は有数の豪雪地帯のひとつであり、毎年大雪に埋もれるためか欄干の痛みは激しく、南西側の親柱は傾き、今にも川に落ちそうになっている。

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この橋、竣工が大正13年と実はかなり古い。
今までこのブログで取り上げた石橋を除く旧橋の中で、竣工年代が判明しているものとしては最古である。
そんな貴重な橋なのだが、これからも毎年傷みは進行してゆき、終には人知れず川へその姿を沈め、二度とその姿を見ることができなくなってしまうと思うと非常に惜しく、歯がゆい。
出来るものなら何とかしたいが、今はこうしてブログに(これもまた人知れず)その姿をアップするのみである。

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ちなみに大正13年12月に、ドイツの顕微鏡メーカー、ライツ社の技師バルナックが小型高性能カメラを開発した。
これがバルナックⅠのA型だ。

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