042.出川橋

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所在 長野県飯山市
竣工 昭和25年12月
撮影 平成19年12月
地図 ココ

備考 「大正国道」10号線

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先週末、トコトコ旧道めぐりしていたときに見つけた旧橋。
一見、「ゴテゴテした橋だなあ…」と思いクルマを停めたが、銘板が横書きである時点で比較的新しい橋であることがわかる。
品が良い感じではないが、やはり気になるので一応車を降りて撮影。
うーむ、このセンスは…?
親柱にデンと乗った球体が謎。
さらに親柱の不思議な装飾。
どことなく寺院的というか…、なんというか、アンコールワットとかボロブドゥールとかにありそうな感じのする橋である。

しかし、路線名の銘板を見て驚いた。

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「國道十号線」!?
…すぐにピンときた。
これは前に某長有名廃道サイトでチラッと見たことのある、「大正国道」というやつだ。
国道にも法制上の歴史があり、明治18年、大正9年、昭和27年の各年に制定された法律上の国道が、それぞれ「明治国道」「大正国道」「昭和国道」と俗称されている。
ちょうど案内標識など道路標識にも、「白看」や「青看」があるように、国道にも歴史あり、というわけだ。
なので、当然現在の「国道10号線」とは全く由来もルートも全く異なっている。
大正国道十号線は、大雑把に、東京~高崎~長野~小千谷~新潟~鶴岡~秋田を結んでいたという。

これは発見だ。
大正国道の物的痕跡は非常に少ないという。
こんな旧道ともただの県道ともつかないような道で、すごい物を発見してしまったぞ!!

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竣工年次が「1950」と数字なのに違和感を覚えるが、それでも古い。
昭和27年といえば、国道の大規模な法改正を2年後に控えた「大正国道」末期だ。
やはり古い橋には、一見して感じる趣がある。
さっきまでゴテゴテしているとか言っていたが、非常にレアな橋であることがわかり、手のひらを返したように評価を変えるのだ。

鼻息も荒く、早速アップしようと思ってちょこっとネットで調べると、既にお一人だけこの橋を紹介されている方がいた。
見なかったことにしてジャジャーン!とアップすることも出来たけど、一度先達の存在を知った以上、自分の発見のように言うことはやはりできない…。
ざんねん…。

ちなみに昭和25年12月、大蔵大臣池田隼人が問題発言。その真意はともかく貧乏人は麦を食え」発言として糾弾された。
でもこの人が、後に、良くも悪くも日本の戦後復興に大きな役悪を果たすことになる。

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035.寳作橋

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所在 山形県上山市
竣工 昭和34年12月
撮影 平成18年9月
地図 ココ

備考

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上山市からの転出を間近に控え、今回が上山の実家からの最後の旧橋ブリグ更新となることを記念して、上山市内の旧橋を。

昨年の秋、黄金色の田んぼを見ながら自転車を走らせていた時に見つけた小橋。
「寳作橋」…農家の人々の願いがそのまんま素直に表わされているような名前で、実に爽やかだ。歴史的な気品も洒落た感じも全くないが、それでいて軽やかでとても愛らしいネーミングに思える。
何の変哲もない地味な小橋だが、その名は周囲の黄金色に実った田園風景をそのままに表わしており、とても心に残った。

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また、丁寧に設計者と請負者が併記されているのも珍しい。
銘板が破損していて読み取ることができないが、恐らく「志賀○○さん」の設計なのだろう。その方は市内の人なのだろうか。
寳作橋を見つけられたこのときのサイクリングは、とても爽やかなものだった。

…と、僕にとってはとてもいい印象のある橋だったので、「爽やか」という表現を2回使ったが、「爽やか」が山口瞳のもっとも嫌いな言葉のひとつであったと何かで読んだことを思い出し、ちょっと複雑な気分…。

ちなみに、昭和34年12月に日本では北大路魯山人が没し、中国最高人民法廷では戦犯として服役中の元満州国皇帝愛新覚羅溥儀の特赦放免を決定した。有名人のあまり知られないその後、という感じだ。

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031.西千手橋

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所在 新潟県長岡市
竣工 昭和28年10月
撮影 平成19年2月
地図 
ココ
備考 

新潟県長岡市はかつて長岡藩の城下町として栄え、司馬遼太郎の『峠』の主人公である河井継之助や、「米百俵」で一躍有名になった小林虎三郎などの藩士を輩出し、その後も海軍大将山本五十六から、ジャーナリストの櫻井よしこ、ミュージシャンのスネオヘアーに至るまで、各方面の著名人を生み出している。
ついでに紹介すると、普段『ドラえもん』くらいしか漫画を読まなかった僕が、ついうっかり全巻揃えてしまった『るろうに剣心』の作者の出身地もこの辺りであり、周辺の地名が登場人物の名前に用いられている。
そのように県下有数の古い歴史を持つ都市である故に、戊辰戦争と所謂太平洋戦争では市街が焦土と化す大きな被害を受け、また平成16年の新潟県中越地震での被害も記憶に新しいが、長岡市は災害を受けるたびにたくましく復興している。
僕も新潟市に住んでいた頃には、全国的に名の知れた長岡花火のときや、その他折々にここを訪れ、戦災資料館や山本五十六記念館などにも足を運んだ。

…がっ!旧橋や白看的視点をもって長岡市を訪れたことはこれまであまりなかったように思える。それに8年間も新潟に住み、何かと新潟県に所縁が深くなった割にはブリグ中の新潟ネタも思うように増えない。
そこで今回、またしても所用のついでに、前々から気になっていた長岡市街のこの橋を見に行った。

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…そうは言っても、わざわざ見に行くには小さく地味な橋なのである。
交差点のすぐ側にあるので、常に信号待ちのクルマが停まり、なかなか落ち着いて撮影できない。街中でカメラを携えることにはもうすっかり慣れたが、やはり停車中の車の傍でしゃがみこんだりすることには抵抗がある…。

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天気が良すぎて、極端な逆光下にあったので黒く潰れた写真になってしまい非常に見づらいが、よく見ると竣工年次が昭和28年と比較的新しい。
少々期待はずれだったが、これも戦災と無縁ではないだろう。
橋が新しいこともまた深い歴史があるが故なのかもしれない。
古い歴史を持つ長岡市でいろいろ旧いモノを見つけちゃおう!という僕の安直な企ては出鼻を挫かれた恰好だが、このあと思いがけないウレシイ出会いが待っていた。

ちなみに昭和28年10月に、日本では東京都内に赤デンワが初めて登場し、海上保安庁の巡視船が竹島に日本領の標柱を立てた。

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025.吉野橋

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所在 山形県南陽市
竣工 昭和33年10月
撮影 平成18年9月
地図 ココ
備考

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021.花薹橋に続いて、南陽市内の吉野川に架かる比較的新しくも古い橋。
どういう経緯か詳しくは知らないが、欄干を見ると、橋の半分(西側)が竣工当時のままで、もう半分(東側)が近代的な新しめの姿になっていると思われる。
上の写真は西側の親柱。橋名などは横書きになっている。

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東側の親柱は一本しか残っていないが、欄干の新しさとは対照的に、意外にも西側の親柱よりも更に古そうなものだ。
特に毛筆体で記された銘板は、これまでに取り上げて来たような昭和初期頃の旧橋のそれと似た感じで、少なくとも銘板は昭和初期のものではないだろうか。
推測するに、現在の吉野橋には昭和初期の銘板、昭和33年竣工の西側半分、それ以後の東側半分、の3代の姿が混合していると思われる。
地味な昭和中期の橋かと思いきや、意外とハイブリッドな吉野橋である。

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そしてさらに、橋のすぐ上流側には、木橋当時の名残であろうか木の橋脚の跡のようなものも見られた。
詳しいことは何も調べていないので推測も多いが、そうなると可能性としては橋脚跡も含め4代に渡る名残を残していることになる。
詳しく調べればいろいろとありそうな吉野橋、侮りがたし。

ちなみに、昭和33年10月に日本では特急「あさかぜ」が全車寝台化され、初のブルートレインとなり、アメリカではNASAが正式に発足した。

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021.花臺橋

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所在 山形県南陽市
竣工 昭和30年3月
撮影 平成18年9月
地図 ココ
備考

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南陽市内の旧R13の吉野川にかかる橋。
この全体的なボロさにもかかわらず、竣工は昭和30年と予想に反して新しい。
欄干のコンクリートがはがれ、鉄筋がむき出しになっていて痛々しく見える。

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この写真を撮っていた時には、近くの中学校の女子生徒がひっきりなしにランニングをしており、014.宮川水管橋の時と同様、落ち着いて撮影していられなかった。
それが、今回の写真の構図が安定していない原因です。はい、言い訳ですけど。
でも昨今、しょっちゅう「子ども見守り隊」なんてステッカーを貼った軽トラなどがちょこまか走っているため、なんか誤解を受けそうでどうしても気になる。
やましい所は何もないのだから堂々としていればいいのだが、そんな風に誤解されるのはご免でーす。
「地域の安全」は確かに重要なことだが、世知辛い世の中になったものだ。

話がすっかり横道にそれたが、つまりは年代に不相応にくたびれた橋ですということですな。
まあ、昭和30年竣工といっても、ここで取り上げている橋たちに比べて新しいということで、もう50年以上も前だし、それだけかつては幹線国道として頑張ったんだよね。
あと、「花台橋」ってちょっとお洒落な名前だと思う。由来は知らないが。

ちなみに、昭和30年3月に日本では理研光学工業が国産事務用複写機第1号である「リコピー101」を開発。
イギリスではチャーチル首相が下院で、イギリスの水爆製造開始を発表した。
リコピー…、単純すぎるが可愛い名前だ。

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019.東落合橋/020.西落合橋

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所在 宮城県柴田郡川崎町
竣工 昭和26年5月
撮影 平成18年7月
地図 ココ
備考 平面交差している橋。

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山形から仙台へ向かう笹谷街道の旧道にある橋。
竣工は昭和26年と比較的新しいものだが、面白いのはその構造だ。
なんと2つの橋がY字型に交差しているのだ。
まさに落合い橋!(まあ、ほんとは川が落ち合っているのというのが正しいのだろうけど)

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橋脚まで詳しく見てこなかったので、構造的にどのように交差しているのかはよく分からないが、こういう橋だとなんとなく嬉しくなって、とりあえず3方向へ歩いて行ってみてしまう。
中心部でぐるっと廻ってみてみたり。
スクランブル交差点が珍しい地域に住む僕としては、こういうのは楽しい。
こんなことができるのもこの橋が旧道化し、すっかり目立たなくなってしまっているお蔭だ。

ところでこの橋の場合、どこからどこまでが東落合橋で、どこからどこまでが西落合橋なんだろう?
そういや確か南側には親柱がなく、橋名も竣工年次も分からなかったと思うが、ひょっとするとそっちが南落合橋になるのか??…だったら面白いんだけどな。
いや、案外そうかも。東西南の三叉橋!…カッコイイ!
仮にそうだとすると、東・西・南の3つの落合橋は、どれもその名では完結していないことになる。
なかなか不思議な橋だ。今度また通ったらもうちょい詳しく見てこよう。

トップの写真は、写真左が東側から西方向を望んだもので(東落合橋)、写真右が西側から東方向を望んだもの(西落合橋)だ。

ちなみに昭和26年5月に、日本はGHQに占領下諸法令の自主的再検討を許可され、WHOにも加盟した。また、国連総会が中国と北朝鮮への戦略的物資輸出禁止措置をとり、これが国連初の経済制裁決議となった。
なんかタイムリーな感じの話題だ…。

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014.宮川水管橋

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所在 山形県上山市
竣工 昭和34年7月
撮影 平成18年9月
地図 
ココ
備考

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上山には中心を前川と須川の2本の川が流れており、結構いろんな橋が架かっている。
そして、市街に吊橋なんかもある。
宮川水管橋、本来水道専用の橋らしいが、人も渡ることができる。
ところで、上の竣工年次が刻まれた親柱の写真(写真右)の下端が切れているのは、写真を撮ろうとしゃがみこんでカメラを構えていたところ、前方から女子高生が歩いてくるのが見え、誤解されてはマズイ!と思って焦ったためだ。
本来こんな中途半端な写真は掲載しない。
尚、その前に撮った写真の時には、おばちゃんが歩いてくるのが見えたが、少しも動揺することはなかったことも付記しておく。
…このように、この橋は水管橋といえども、日頃から市民に親しまれているのだ。

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竣工年次自体は昭和34年とそう古くはないけど、全体的にどことなく古めかしい感じのする橋だ。
橋の両詰には次のような銘板があった。

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いいねえ!「車馬交通止」。
いくら田舎とはいえ、昭和34年に市街を馬なんか歩いていたのか疑問だが、こんな表記もこの橋の古めかしさに拍車をかけている。ちなみに馬の交通止めに関する標識は制定されていないようだ。
この目を引く吊橋、子どもの頃の僕の中ではなかなかミステリアスな存在だった。
吊橋ということと、暗い青色の塗装がそのように印象付けたのだろうか。

ちなみに昭和34年7月に児島明子がアジア人初のミス・ユニバースに選ばれ、ソ連では犬2頭、ウサギ1羽を乗せたロケットを打ち上げ、動物の回収に成功した。

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003.隔間場橋

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所在 山形県山形市
竣工 昭和38年10月
撮影 平成18年7月
地図 
ココ
備考 平成19年1月再撮影→画像を差換え。

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小滝街道(現K5-R348)の延長上にある橋。ほんとはこのくらいの年代の橋はあまり興味がないのだけど、名前につられて撮ってみた。
子どもの頃、「カクマンバさ行ぐべ」などと、「カクマンバ」という地名は耳にしていたんだけど、漢字でこう書くとは、初めて知った。

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ところで、「隔間場」とは漢字で書くくせに、「竣工」の「しゅん」の字が書けてないぞ。
これはきっと忌字だったとか何か深い事情があるに違いない。きっとそうだ。

ちなみに昭和38年10月に、日本では慶応・順天堂の両病院でアイバンクが開業し(10日)、フランスではシャンソン歌手エディット・ピアフが死去した(11日)。 ふーん。

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